法隆寺金堂
郡山城址を車窓に見ながら「もとの木阿弥」の由来をガイドさんが説明してくれた。
「敵に塩を送る」などは良く知られている故事だが、この話もなるほどと思いながら興味深く聞いた。
大和郡山城の城主が病死したとき跡取り息子が幼少のため、その死を秘して替玉を立てた。
その替玉になった人は城主によく似ていた木阿弥という名の盲人。
息子が立派に成長して城主の病死を公表してもよい時期になり木阿弥は役を解かれてもとの盲人木阿弥となった。
この故事からいったん良い状態になったものが再びもとのつまらない状態に戻ること。
苦心や努力も水泡に帰して、もとの状態に戻ってしまうことの意味。
たぶん木阿弥の立場を云っているのだろうが、つまらない状態に戻ってしまったのかどうか本人しかわからない、案外自由になって喜んだのかもしれない。
5 件のコメント:
楽しい旅でお勉強もいっぱいできてよかったですね。
こうして見せていただくと、色々知ることができうれしいです。
ほんと本人に聞いたらほっとしているかもねでも元の木阿弥とはそんな由来があったんですね、一つ利巧になりました、ありがとうございます。
なるほどね。
元の木阿弥という言葉には、そんな由来があったんですね。
勉強になりました。
法隆寺金堂の写真堂々と立派に撮られてます。元の木阿弥の由来良く分りまし。私も歴史が好きですが、hanonさんの歴史の知識力に頭がさがります。
素敵旅できて楽しそういいな~いいな~
hanonさんのブログで色々なことを学ばせて
頂いてます。
楽しみに拝見しています。写真も素敵!
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